「浄土門根元地」の石碑
総門の前に「浄土門根元地」と書かれた石碑があります。光明寺が建つ粟生広谷の里は、法然上人が初めて「南無阿弥陀仏」のお念仏の教えを説かれた場所です。
法然上人は24歳の時、比叡山から求道の旅に出られました。その途中出会った粟生野の里人(茂右ヱ門夫婦)から「もし、誰もが等しく救われる教えを見つけられましたら、どうぞ真っ先にこの私にお説き下さい」と願われました。約20年後の承安5年(1175)、43歳の法然上人は約束通り粟生野を本願念仏の教えを広く説き始める地に選ばれました。
この故事によって、永禄六年(1563)、正親町天皇から「法然上人ノ遺廟、光明寺ハ浄土門根元之地ト謂イツベシ」という綸旨を賜り、ここが念仏発祥の地、「浄土門根元地」となったのです。