福井隆和
法話を聞く
こちらは西山浄土宗総本山光明寺テレフォンセンターの福井隆和です。
秋も深まって参りました。各地で色鮮やかな紅葉の季節を迎えますが、大自然の景色の素晴らしさとは反対に世の中では想像もできない事件、事故、自然災害が起こります。何が起きてもおかしくない今の時代、それだけでも不安になりますが、それとは別に、我々は、根本的な苦悩を抱えています。それは、―この世に生まれてきた時からいつかは老い衰え、病に罹り、この世を去っていかねばならないという現実です。お釈迦様は「この世は一切苦しみである」とされました。
この生老病死の苦難―一人一人にあって決して避けられない苦難に対して我々はどのようにして心落ち着かせ生きていけばよいのでしょう。
鎌倉時代、宗祖、法然上人はすべての人々が救われる道として念仏の教えを確立され私たちに示されました。― 念仏とは「南無阿弥陀仏」と六字の名号をお称えすることです。
苦しみの多い我々の「不安です」「思うようにならない」という心の訴えを「阿弥陀仏」はありのまま受け取って下さいます。― 「安心しなさい。きっと成るようになりますよ。」と。
生死の問題をどうすることもできない我々凡夫を必ず一人残らず救いたいと願われている阿弥陀様は過去、現在、未来にまで我々を永遠に見守って下さいます。流祖西山上人のお言葉に「ねむりて一夜をあかすも報仏修得のうちにあかし、さめて一日をくらすも弥陀内証の内にくらす」とあります。「南無」とは「信じる」「帰命する」ことであり「すべてを弥陀の慈悲におまかせする」のです。
お念仏を続けていきますと私とお弥陀様は一心同体であること、今、生かされていることに気付かされ、「ああ、有難い。」と感謝と喜びの心が湧いてきます。このような境地に達するのは我々には難しい事ですが、西山上人は「あまりの嬉しさに、ほれぼれと」お念仏を称えられました。
日々の生活の中、苦しい時も、悲しい時も、嬉しい時も阿弥陀様に抱かれている幸せを自覚して信仰の日々を過ごしたいものです。
本日は有難うございました。