念仏行脚 当時、念仏を唱えれば誰でも往生できると説いた法然上人に救いを求める多くの人々が集まりました。しかし、それに危機感を抱いた他の教団から弾圧を受けました。法然上人の没後も迫害は続き、墓を破壊される直前に弟子達は亡骸を密かに嵯峨に運び、さらに太秦広隆寺に避難させました。 その翌年に、一夜、地鳴とともに石棺から数条の光明が放たれ、南西の西山の麓を照らしました。 そこには熊谷直実蓮生が開いた「念仏三昧院」があり、そこに亡骸を運び荼毘に付しました。 この伝説にちなみ「光明寺」となりました。 墨染めの衣と灰色の袈裟で生涯を過した法然上人にならい、黒衣をまとった僧たちが約15kmの道のりを歩く「念仏行脚」は、教えを守り続けてきた先人たちの艱難辛苦を心に刻む行事です。 法然上人の亡骸は広隆寺から運ばれましたが、現在では西光寺から光明寺までを約4時間かけて行脚します。 一般の方の参加も歓迎いたします。。